1945年10月10日.20時47分.
夜の空気は灰と銅の味がした.あちこちで消されることもない火がくすぶり続ける,戦後東京の永続的な臭いだ.セキタンキは盗んだ輸送トラックの荷台に身を潜め,三度目となる100式機関短銃の点検を行っていた.手は機械的な精密さで動いていたが,脳内では,わずか60%の脱出の可能性のために7人の人間を死なせようとしているこの狂気に対して,悲鳴が上がっていた.
(いや,60%ですらない.この確率は現実を,マーフィーの法則を,宇宙が勝利よりも悲劇を好むという事実を考慮していない.)
向かい側では,海イト(海斗)が完璧な静止状態で座っていた.2228年時代の瞑想技術で心拍を制御し,呼吸を整えている.だがその瞳はすべてを物語っていた.恐怖と決意が,支配権を争って激しくぶつかり合っている.
「あと5分だ」運転席の林軍曹が,すでに死を受け入れた者の冷静な声で言った.「中村の報告によれば,警備の交代は予定通り.日米の警備が入れ替わる.タイミングは最適だ」
「最適」.成功と破滅的な失敗の間のわずかな隙間を表すには,あまりに冷淡な言葉だった.
斎藤二等兵が装備のチェックを終えた.カメラジャマー,ピッキングツール,ワイヤーカッター.かつての犯罪生活の道具が,今は高潔な「窃盗」のために転用されている.「...まだ信じられねえ.自分たちの軍から,それにおまけにアメリカさんから盗むなんてな.もし失敗したら――」 「失敗した時は」腰に爆薬を巻きつけた伊藤伍長が,無表情に訂正した.「英雄らしく死ね.処刑前に開かれない裁判のために,いい物語を遺してやれ」
トラックの中に神経質な笑いがさざ波のように広がった.叫び出す代わりに漏れる,そんな笑いだ.衛生兵の山本が静かに言った.「モルヒネの準備はできています.もし誰かが,連れて行くのが不可能なほどの重傷を負ったら――」 「誰も置いていかない」セキタンキが遮った. 「分かっています.だから持っているんです.負傷者が内側から僕たちを遅らせないように」 その言葉の含みは,氷のように冷たく一同に突き刺さった.「歩けなければ,より早く死なせる」.慈悲が殺人になり,それが生存となる.
これが,僕たちが成り果てた姿だ.奇妙なプロトコルを練る人々.反逆を企てる兵士.理解できないものを守っているだけの無実な人々を破壊しようとするタイムトラベラー.
トラックは第七研究施設から3ブロック先で止まった.徒歩で到達できるほど近く,車が即座に犯行と結びつけられないほど遠い場所.
彼らは闇へと降り立った.武装した人間を見ても,もはや誰も深く詮索しようとはしない.爆撃で荒廃した街の影.戦争は市民に,銃を持つ兵士への好奇心が浅い墓穴への近道であることを教えていた.
セキタンキは無線を起動した.盗んだ米軍の機材,中村が記憶した周波数.「状況報告.全員配置についたか?」
中村: 通信ステーションに待機.米軍の周波数を偽装し,日本軍の応答チャンネルを監視中.これからの20分間,すべての通信は彼を通過する.
伊藤: 東棟の配置完了.爆薬はセット済み.起爆の合図を待つ.
斎藤: 境界突破ポイントに到達.60秒以内に監視カメラをオフにする.
計画は動き出した.もう止まれない.個人の利益のために人を殺さない自分たちには,もう戻れない. 「林,山本,僕に続け」セキタンキが指示を出す.「海斗,エンジンはかけたままか? 脱出ルートは?」 「問題ない.燃料満タン.ルートも叩き込んだ.無線を入れたら30秒で駆けつける」海斗の声は安定していたが,彼の手がセキタンキの肩に触れた.言葉にできないすべてを込めたその接触.「戻ってこい.頼む.一人にしないでくれ」
「制限時間は18分」セキタンキが告げた.「伊藤の爆破と同時に時計を回す」
2100時 - Dセクション
ボォォォォォン.
東棟で爆発が起きた.機械を傷つけないほど遠く,だが施設全体にパニックを引き起こすには十分な威力.雷鳴のような轟音が響き,即座に警報と怒号が続いた.
監視カメラがループ映像に切り替わり,警備兵たちが爆発現場へと駆け出す. 「今だ!」林が換気口の格子を蹴り破り,セキタンキと山本が後に続いた.
部屋は記憶通りだった.中央のプラットフォームに鎮座する「僕の機械」. セキタンキは祭壇へ向かう神官のように,自らの創造物へと歩み寄った.3ヶ月.この瞬間のために,囚われ,計画し,家に帰るためなら「何だってやる」怪物へと変貌してきた.
「扉を頼む!」セキタンキが命じた. 林が入口に陣取り,待ち伏せの体勢をとる.山本は監視機器の接続を解除し始めた.
セキタンキの手が時間核(テンポラル・コア)に触れる.構造的なダメージを確認する.米軍の調査でハウジングの亀裂は広がり,量子発振器は今にも崩れそうだ.
「接触(コンタクト)!」林の叫び声.
扉が蹴破られ,予想以上の速さで米軍の憲兵(MP)が二人突入してきた. 林の100式機関短銃が先に吠えた.抑制された,殺意の塊のような3連射.一人目のMPは腹を割かれ,床に落ちる前に絶命した.二人目が銃を構えようとした瞬間,林の第2連射がその喉を貫いた.
血が飛散し,死体が転がる.3秒で終わった,冷徹で効率的な暴力.今朝,今夜帰宅することを疑わなかった二人の人間が,僕たちの目的のために消された.
「続けろ!」林がリロードしながら叫ぶ.「ここは俺が食い止める!」
セキタンキは震える手を抑え,時間核をハウジングから引き抜く.幸い,日本の科学者たちが一部解体していたおかげで抽出は早かった.石炭紀の生存本能が,道徳的な麻痺を上書きして手を動かさせる.
(まず生き残れ.罪悪感は後だ.それが常にルールだった.)
廊下から激しい銃声が聞こえる.林が正確な射撃で応戦しているが,米軍の増援がなだれ込んできた.4人の訓練された戦闘チームだ.
林が肩を撃たれ,回転するように倒れかけるが,撃ち続ける.山本も拳銃を抜き,左側面をカバーした.セキタンキも持ってきた100式を手に取り,プラットフォームの陰から発砲した.
一人,また一人と米兵を仕留める.だが,4人目の米兵の銃口がセキタンキを捉えた.
時間は結晶化した.セキタンキは米兵の指が引き金にかかるのを見た.銃身が自分に向けられる.死が秒速750メートルで近づいてくる――.
山本が射線上に身を投げ出した.
セキタンキを殺すはずだった弾丸が,衛生兵の胴体を貫いた.3発,致命的な箇所へ.山本は声もなく崩れ落ちた.即死だった.
「...ッ,あああああああ!」
怒りが点火した.それは生存のための計算ではなく,石炭紀以来蓄積されてきた,原始的な憤怒.自分を助けてくれる人々を奪い続け,友人たちの死を強制するこの宇宙への憎悪.
セキタンキは石炭紀の怪物の如き暴力で応戦した.残りの米兵を排除したが,室内には血と死の臭いが立ち込めていた.
「時間がない...!」林が喘ぎながら,血に染まった軍服を抑えて叫んだ.「機械を持って行け! 行け!」 「あなたも撃たれた――」 「俺は足手まといだ! 行けと言っている!」
セキタンキは反論したかったが,林の言う通りだった.重傷の軍曹を連れて行く余裕はない.置いていくということは――.
(見知らぬ他人のために殺した人々に囲まれて,一人で死ぬということだ.)
「...すみません」セキタンキは囁いた. 「気にするな.兵舎で酒に溺れて死ぬよりずっといい死に方だ」林は苦痛に顔を歪めながら笑った.「家に帰って家族に伝えろ....これを無駄にするなよ」
セキタンキは30キロある不格好な時間核と,繊細な量子発振器を抱え,換気ダクトへと這い上がった.背後で,林の100式が再び吠え始めた.怒りか,あるいは歓喜のような叫び声.出会って3週間の見知らぬ男たちのために,彼はすべてを投げ打った.
2114時 - 脱出
換気口から外へ出ると,施設は完全なカオス状態だった.
「伊藤がやられた」影から現れた斎藤が言った.「日本軍の警備に捕まった.あいつ,最後の一人まで道連れに――」泥棒だった男の声が震えた.
7人のボランティアが6人になり,5人になった. 盗んだトラックが突っ込んでくる.海斗がハンドルを握っている.「乗れ! 早く!」
機械のコンポーネントを荷台に放り込み,セキタンキと斎藤が飛び乗った.背後からは追跡の銃声.
「中村は?」無線を叫ぶが,返ってくるのはノイズだけだった. 「...こちら中村.バレた.米軍に囲まれている....最後まで偽の命令を流し続ける.止まるな.行け,行――」 銃声が響き,通信が途絶えた.5人が,4人になった.
「仕事場へ!」海斗が2228年の反射神経で瓦礫だらけの通りを猛スピードで駆け抜ける.
米軍のジープが横から飛び出し,機銃掃射を浴びせてきた. 「うわっ!」 トラックの薄い鉄板を弾丸が貫く.斎藤が反撃するが,腹部と首に被弾した.誰かの幸せに自分の技術を使いたいと願った泥棒は,それを果たして荷台に転がった.
4人が,3人になった.一人の不可能な脱出のために,4つの家族が壊れ,4つの未来が失われた.
「工場だ! あと2ブロック!」海斗が叫ぶ.
彼らは工場の扉をトラックごと突き破り,なだれ込んだ.外ではサイレンと探査灯が迫っている. 「組み立てにどれくらいかかる?」海斗が叫ぶ. 「最低10分.でもそんな時間はない!」 「なら作るんだ,時間を!」
彼らは記憶を頼りに,手探りでコンポーネントを接続した.トラックのバッテリーを電源に使い,祈るような気持ちで量子発振器を繋ぐ.ターゲットコンピュータは破壊されている.盲目のジャンプだ.
確率は60%から40%へ,20%へと落ちていく.
「完了だ! 座標セット――2228年,東京の近似値!」 「待て!」セキタンキが海斗を掴んだ.「機械は一人しか運べない! 計算では――」 「計算なんて知るか! ここで一緒に死ぬか,一緒に賭けるかだ!」 「海斗,物理法則は絶対なんだ!」 「なら一緒に死のう! あんたを置いていかない,絶対に!」
工場の扉が爆破され,米軍が突入してきた.「手を上げろ! 地面に伏せろ!」
もはや選択の余地はなかった.セキタンキは海斗を掴み,機械のフィールドへと引き寄せた. 「一緒に跳ぶぞ.何が起きても――」 「――一緒だ」
二人は同時に起動スイッチを入れた.不安定で凶暴な時間フィールドが瞬時に膨れ上がり,設計外の負荷に機械が悲鳴を上げる.米軍の銃撃が始まった.弾丸がフィールドを通過し,軌道を曲げ,現実が歪む.
一発の弾丸がセキタンキの脇腹を抉った.激痛が走るが,彼は海斗の手を離さなかった.
「掴まってろ!」
フィールドが暴力的に収縮し,世界が引き裂かれた.石炭紀,鎌倉,第二次世界大戦,そして――新しく,無機質で,清潔な「何か」が迫り,意識は空白へと消えた.
??? - 場所不明・時間不明
セキタンキは白さの中で目を覚ました.純粋で,防腐剤の匂いがするような白. 清潔な医療用ベッドの上.脇腹の傷は...手当されている?
「目が覚めましたか.ショック状態でしたが,無事に転移できたようですね」
専門的で,冷淡な声.セキタンキは起き上がろうとしたが,体が重すぎて自由が利かない. 「...どこだ,ここは」 「東京です.西暦2228年.あなたは生存確率約3%の壁を越え,283年後の未来へ転移しました」
2228年.海斗の時代だ.僕たちはやり遂げたんだ.
「海斗...あいつはどこだ?」 「同行者は別の施設で治療中です.重傷ですが,命に別状はありません.安定すれば再会できるでしょう」
安堵が全身を駆け巡った.二人とも生きている.機械は動いたんだ.
「しかし」声の主が続けた.「問題があります.2228年において,時間転移は重大な犯罪です.2089年の『因果律戦争』以来,厳格に禁止されている.あなたはあの機械を使用したことで,およそ17の法律に抵触しました」
「そんなつもりじゃ...僕たちはただ,帰りたかっただけだ...」 「事情は分かります.ですが,法は法です.あなたは拘束され,評価を受け,それからあなたの未来が決まります」
視界の中に一人の女性が入ってきた.40歳前後,見たこともない制服を着ている. 「私の名前はナカムラ.時間規制庁のエージェントです.セキタンキ,あなたはここ数十年で最も興味深い『症例』ですよ.未来へようこそ.ここではもう,法律を破らないように」
彼女が去り,セキタンキは横たわったまま思考を巡らせた.
石炭紀,鎌倉,1945年.4人の友が自分たちのために死んでいった.そして辿り着いたのは,時間旅行が犯罪とされる2228年. それでも,海斗は生きている.それだけで十分なはずだ.
窓の外には,2228年の東京が広がっていた.ガラスと光の塔,宙を舞う乗り物.科学が現実になった未来. そして,4つの時代を旅したあの機械は,ジャンプの衝撃で消滅した.もう戻る道はない.2024年へ帰る術もない.
彼は「家」に着いた.あるいは,彼が二度と手にすることのできない「家」に最も近い場所に.
つづく… [次話:「デジタルの王たち」]
